30歳を目前にし転職活動を開始!無事就職先が決まり、考えたこと、感じたことをつづります。

アラサー女が忙しすぎる職場から脱出し、転職活動を開始。幸せな日々を取り戻すため、辿り着いた答えとは。

ほっとすると同時に落胆するような気持に
転職先が決まり、とりあえず安定した収入が得られる、とほっと一息ついたのと同時に、結局コネ入社で決まった訳なので、ああ、今回も自分の力で就職先を決められなかったのだな、と自分に対して落胆するような気持ちでいました。
 まもなく仕事が始まり、最初なのでもちろん周りの人たちとすぐに打ち解けられることもなく、一週間ほどが過ぎ、結局今までと同じ、自分の人生において明確な目標もなく、ただ目の前の事をこなしているだけじゃないか…といった暗澹とした気持ちに覆われていました。
ちなみに、私が親しくしている友人は、ほとんど皆一流企業に勤めているか、もしくは既に結婚してお母さんになっているような友人ばかりで、私のようにふらふらしているような人間は一人もおらず、自分だけ取り残されているような気持ちでした。
当時、暗澹とした日々の中で、今は夜明け前なんだ、夜明け前が一番暗い、きっともうすぐ夜が明ける、と自分に言い聞かせていたのを覚えています。

運命的な出会い
そして、その夜明けは唐突に訪れました。私が兼ねてからずっとやってみたいなと思っていたことに関して、ひょんなことから道標となってくれるような方と出会え、その方の紹介で、自分が興味のある分野で世界的権威とも呼べるような方に学べる場所にたどり着けたのです。
正直、私が興味がある分野と言うのは、一般的には収入には直結しないもので、お金も時間もかかることだったのですが、私が心からやってみたいことだったので、毎日において、一つでも本心からやりたいことをやれるというのは、大きいものでした。
それを学ぶためと思えば、仕事も頑張れる、と思えました。
また、私が勤めだした会社は、社風が自由で時間が比較的融通が利き、また会社から習い事をする場所までとても近く、その習い事をするのにうってつけの環境だったのです。

世界が違う!
また、前職では、業務時間中は遠く離れたプリンターと自分の席を何遍も往復し、殺伐とした雰囲気の中、常に神経が張り詰めてフル回転している状態で、早く帰れたとしても疲れ切っていて何にもする気力がありませんでした。
しかし、転職先では、自分のペースで仕事が出来、定時にはほぼ必ず帰れて、家に帰ってからも気力が残っているため、手間暇かけて料理を作ったりも出来ます。まあ、週に二回は夜22時まで習い事をしているので、なんやかや体力的にはハードではありますが。
その落差があまりにも激しかったので、前の会社での日々はなんだったんだろう、悪夢でも見ていたんだろうか…と本気で思いました。
今思うと、なんであんなに頑張って、無理をしていたんだろう、と思います。もちろんすべて無駄だった訳ではなく、派遣社員として手っ取り早く稼げたので家計のピンチを乗り越えることが出来ました。また、自分の中でやりきれた、という満足感と少しの自信を得られ、退社する時も、派遣社員でこんなに惜しまれて去る人はいないよ、と言っていただけました。でもそれがなんだっていうのだろうとも思いました。

転職活動と前職を振り返って、今思うと、世間の評価ばかり気にしていて、無理して、認められようとしていたな、と思います。でも、そんな風に無理して頑張れば頑張るほど、自分を見失って、幸せから遠ざかっていたと思います。
何か自分が心から望むものがあって、そのために頑張るのはいいことだと思いますが、ただ世間体や、忙しくしているのが偉いとか、訳の分からない同調圧力のようなものに押されて無理をしても、何も良いことはないです。
自分の大切な時間を浪費して、身をすり減らすだけです。
きっと自分の人生において、本当に大切なものと出会ったとき、自然と頑張りたい!思うはずですし、頑張りたいと思えない時はその時で、自分が幸せに生きられるようにとにかく無理せずに、自然の流れに身を任せて生きてもよい、そんな風に思う今日このごろです。

焦らず無理して頑張らない.jpg


 

ついに退職から4ヶ月が経過
 リクルートにお祈りをされた後、興味のある企画営業、編集、翻訳、コンサルティングなどの職種で4社ほど応募をしていったのですが、モチベーションをなかなか上がられず、書類審査も通らないような日々が続きました。 そんな中で、株式会社ティーネットジャパン(https://job.mynavi.jp/18/pc/search/corp90727/outline.html)という会社の事務職での求人に応募致しました。
正直、前職を辞めた直後はもう事務職はたくさん、という気持ちだったのですが、事務職として、しかも派遣社員の細切れの経歴しか積んできていない私が他の職種の正社員につくのは厳しい、という現実を身に染みて感じるようになり、まずは経験のある事務職として正社員のキャリアを積むのも悪くないと考えるようになったからです。
また、求人情報を見たところ、事務職といえども、社内外の関係者と連携しながら、幅広い業務に携わることが出来、「ビジネスパーソン」として大きな成長を遂げられる、というような一文にも惹かれました。
幸い、書類審査が通り、面接でも、前職で営業アシスタントとして、ただ与えられた業務をこなすだけでなく、どうしたらチーム全体が円滑に業務を行えるかを考え改善案を上長に提案するなど、積極的にコミュニケーションを取り、自発的に行動をしていた点が評価され、最終面接にまで進むことが出来ました。
しかし、正社員の事務職というのもそれはそれで人気が高く、どうしても入りたい!という高い意欲をアピールできなかった私は、そこでお祈りされてしまいました。
その時点で、気が付けば退職をしてから4か月が過ぎようとしていて、経済的にも、かなり辛い状況になってきました。
精神的にも、こんな無職の状況で、友達に合わせる顔がない…という気持ちが勝り友人に会う気にもなれませんでした。

知人の紹介で転職先が決定
そんな中、知人から連絡があり、知り合いであるデザイン会社を経営する社長が人を探しているから、履歴書と職務経歴書を送ってみたらどうか、とメールをくれたので、連絡先を教えてもらい、早速履歴書と職務経歴書を送らせてもらいました。
 正直、デザインの経験、技術ともにゼロですし、デザイン会社と言うと、デザイナーさんが深夜まで締め切りに追われて働いているような印象もあったので、あまり気が進みませんでしたが、もういい加減、職を選んでいる状況でもなくなっていたので、とりあえず、何か私にできそうなことがございましたらご連絡ください、と言った軽いノリで送りました。
すると、一週間ほどして、まずはカフェなどでお話を聞かせてもらえないかと連絡があり、社長さんと直接お会いすることになりました。当日、お会いしてみると社長さんは実年齢よりもだいぶ若く見え、カジュアルな服装をしていらっしゃいました。
仕事の内容をお聞きしたところ、写真のレタッチなど、自分でも出来そうな業務でしたし、もともと子供のころは絵を描くのが何より好きで、美的センスにはそれなりの自信もあり、ちょっとおもしろそうだな、とも思いました。もし良かったら会社に見学に来る?と聞かれたので早速その週に訪問をすることになりました。
会社は鄙びたビルの一角のこぢんまりとしたオフィスで、従業員は全員で10名にも満たない人数で、女性はほとんどいませんでした。しかし、なんとなくその場所が落ち着き、また、従業員の方にお会いしたところ、この方たちとなら、仲睦まじく、楽しく仕事ができそうだな、と言った安心感がありました。
正直、それまでエントリーしてきた会社とは職種も規模も違い、おそらく知人に紹介されなければ、自らは絶対にエントリーしないような会社で、多少不安はありましたが、もう迷っている暇はない!と思いその場で、もし雇っていただけるなら、働かせて頂きたい、と申し出ておりました。
こうして、私の転職活動は最終的に5か月目で幕を閉じたのでした。

転職活動の終結

スカウトで一番興味を持った求人若者仕事センターに通いながら、転職サイトのスカウトサービスにも登録し、スカウトが来た会社の中で、興味が持てる企業にも、5社ほど応募しました。

その中で、一番興味を持った会社は、リクルートのライフスタイル領域の求人でした。
そこでは、未経験でも、充実した研修があり、企画営業職として取材から編集まで一貫して任せてもらえるのと、高い志を持った同年代の仲間と一緒に切磋琢磨しながら働ける、と言うのが非常に魅力的でした。
というのも、私はほとんど派遣社員としてしか働いたことがなく同期入社の仲間というのが出来たことがなかったからです。
また、直近の職場はともかく、それまでの経歴がとても誇れるようなものではなかったので、求人者の“過去”よりも、これから何がしたいか、やる気を重視してくれるという点でも、もしかしたら可能性があるかもしれない、と希望を持てました。

転職サイトと若者仕事センターのサービスをフル活用
そこで、どうしても内定を勝ち取りたいと思った私は、転職サイトの専任アドバイザーの方に、応募書類や面接の想定質問に対する回答を見て頂いたり、若者仕事センターの方に模擬面接をして頂いたりしていました。
その甲斐もあってか、書類審査を通り、二次面接まで進むことが出来ました。 拍子抜けした二次面接二次面接当日、緊張の面持ちで高層ビルのオフィスに足を踏み入れました。
面接の担当者は30代後半の部長一人で、最大4名くらいが入れる位のこぢんまりとした窓際の会議室に通されました。
しかし、面接が始まっても、想定していた質問は一つも聞かれる気配がなく、まずは今までの経歴を話してください、と言われ、大学を卒業してからの経歴を順を追って話し、それに対して世間話でもするようなカジュアルな雰囲気で面接が進んでいきました。想像していた展開と全く違かったので、私はなんだか拍子抜けしてしまいました。
面接時間をたっぷり40分ほど取っていただいていたのですが、後半は質問されることよりも、逆に質問したいことはない?と聞かれることが多く、逆質問をあまり用意していなかった私は、ネタ切れ状態になってしまいました。
質問をされることを前提に対策をおこなってきたので、質問がほとんどされないという状況に対応できず、おそらく聞かれなくても自分から自己アピールする位の情熱を見せなくてはならなかったのだと思いますが、まごまごしている内に結局タイムアウトになってしまいました。

 最終的にリクルートは、他の候補者に比べてバイタリティが少ない、自分で判断し業務を進めていく経験が足りないように感じられた、という理由でお祈りされました。 経験の有無は問わないはずでは、と思いましたが、バイタリティが足りない、という点では自分でも体力面で不安を感じていたので、ごもっとも、という感じでした。

二次面接で失敗した帰り道

そんなこんなで、ついに最終出社日を迎え、溜まっていた有給休暇を一気に取得し、自由の身になった私は、自営業の母の仕事の手伝いや、一度働いて見たかった某花屋で期間限定のアルバイトをしたり、気になる会社の説明会に参加したり、ちょっとした遠出をしたりして最初の一か月をわりと忙しく過ごしました。
しかし、肝心の自分の進むべき方向性が一向に定まらない状況でした。自己分析しようと机に向かっていても、考えるほど訳が分からなくなってしまい、また過去の自分を振り返る作業では、悲しいことや辛かったことを思い出して落ち込んだり、自分は一体何をしていたのだろう…と後悔と自責の念に駆られたりしていました。

若者仕事センターへ
そこで、一人で悶々と考えていてもしょうがない、と思った私はまずは無料で就労支援をしてくれるハローワーク管轄の若者仕事センターに行って、講座を受けたり専任のカウンセラーさんに相談をしに行ったりしました。
正直、若者仕事センターに来ている方々は20代前半の新卒の方や第2新卒の方がほとんどだったので、20代ぎりぎりの自分は浮いていたと思います。ただ、新卒の時に、周りに頼らずに単独で就職活動をしてしまったのも失敗要因だったと思うので、今回こそ悔いのないように、利用できるサービスは利用しつくして、第三者の意見もちゃんと取り入れよう!という思いで通っていました。
また、当時を振り返って自己分析も足りていなかったなと思ったので、自分の納得のいくまで分析をして、その分析結果をアドバイザーの方にも見てもらい、客観的な意見を聞いたりもしました。とにかくこれを最後の転職活動にしよう!と意気込んでいました。
幸い、私の専任アドバイザーの方は期待以上に頭の切れるプロフェッショナルな方で、私のまとまりのないぼんやりとした考えを、感動的なまでによく汲み取ってまとめて下さいました。
そして、あるテーマに関して専門知識を深めていける、自分の感性を生かして自分にしかできない仕事ができる、などと言ったことを転職の軸として、求人情報を探していきました。

転職の一歩を踏み出す

惰性で続けてしまった1年
さらに7、8か月と過ぎ、業務にも慣れ、やっと定時に帰れるようにもなってきました。部署内外の方々とも少しずつ打ち解け、コミュニケーションもスムーズに行えるようになってきました。

しかしそれも束の間、今度は部署内の方が、過労で入院してしまうという事件が起きました。ちなみにその方は当時毎日23時位まで残業して仕事をされていて、完全に過労死レベルを超えていました
。ほかの営業さん達もそこまではいかずとも、毎日21時、22時まで残業は当たり前でした。はたから見ていても、皆さん体調が悪そうで、雰囲気も殺伐としていました。
このままじゃ体を壊しちゃうのでは、と心配していた矢先だったので、ああやっぱり、という感じでした。でもこれで、少しは上の方々も改善に向けて取り組むのではないか、と期待しました。
しかし、私が思ったほどの改善は見られず、上司の方もそこまで事実を重く受け止めてはいないようでした。多分このあたりで私も思い切って、転職活動を始めるべきだったのかもれません。しかし、私も当時は目の前の仕事に忙殺されて、自分の置かれている状態を冷静に把握することが出来ていなかったのかもしれません。
自分がどうにかしなくちゃ、なんて思ってしまったのです。

また、プライベートでも28歳にして当時何年も付き合っていてプロポーズまでしてくれた彼氏に別れを告げるという、大きな選択をしたのですが、そのことでも気持ち的にどん底まで沈んでいるような状態だったので、転職のことは後回しになってだらだらと惰性で仕事を続けてしまっていました。

体調を崩し転職活動を開始.jpg 

いよいよ体調に異変が
そして1年と4か月程が過ぎ、私の体調にも異変が訪れ始めました。眠っている間に動悸がして目が醒めたりするようになったのです。
また、気が付いたころには、もともとやせ型だったのにさらに痩せていて、慢性的に食欲がなく、食べても、まったくおいしいと感じないような状態になっていました。完全に精神的ストレスです。
そして、病院に行ったら不整脈だと診断されました。正直言って、自分でも心のどこかでこのままじゃいけない…とは分かっていたのですが、思考停止状態に陥っていたのです。
しかしそれをきっかけに、真剣に退職を考え始めました。
このままこの仕事を続けていても、時間に追われるばかりで、特にスキルが身につくわけでもないし、心がすり減っていくだけ。それに派遣社員だから経歴としても転職の際に評価されない。
経理的な業務はこなしていたので経理のプロになるなら簿記検定でも受けて業務にあたるのもいいかもしれないのだろうけど、正直まったく興味が持てないし、数字は嫌い。もし経理のプロになったとしても、微塵もうれしくない。
かといって自分は一体どんな仕事がしたいのか、分からない…。
でも、もう28歳だし、転職をするなら早い方が良いに決まっている。とにかく今の仕事をつづけた先に、将来はない。心身ともにすり減るだけ…。そんな考えがぐるぐるぐるぐるずっと頭の中を駆け巡っていました。
もちろん、頭で考えるばかりでなく、自己分析の本を買って自己分析してみたり、興味があるNPO団体や会社の説明会に参加したりもしていました。
しかし、どれもこれだ!と確信できるものがありませんでした。そして最終的に、まだ転職先も決まらないうちに、なかば投げやりに、私は次回の契約を更新しない旨を派遣会社の営業担当さんに告げたのでした。

それから二か月間というもの、自分の業務と並行して引き継ぎもしなくてはならなかったので、とても目まぐるしい毎日でした。
いくつか転職サイトに登録し相談はしていたものの、転職活動をする余裕もなく、土日は疲れ果てていて、最終出社日の最後の1秒まで引き継ぎをしていました…。

前職に就くまで
まず、前職は何をやっていたかと言うと、エネルギー系の会社で派遣社員として営業事務をしておりました。ちなみに、その会社で働き始めたのも26歳の時です。
では、その前は何をしていたかと言うと、まず四年制大学を卒業したものの就職活動に失敗し、小規模な会社に入社したものの、3か月程でその会社が経営難になり退社。
そのあとは派遣社員として働き、このままだと自分が腐ってしまうなと危機感を持った私はワーキングホリデービザを取得して旅立ち、7か月程海外で語学学校に通いつつアルバイトをしながら暮らしていました。
そして、海外の異文化の中で揉まれ少し逞しさを身に付けた私は、今度こそ正社員でバリバリ働くぞ!とやる気に燃えていたのですが、貯蓄が底をつき、、、まずは派遣社員で働きながらとにかく早く収入を得て、働きながらまた就職活動をしよう、と思ったのでした。
しかし、私が派遣された部署と言うのは、その会社の中でも、稼ぎ頭の部署で、社内の精鋭部隊が配属されており、業務の量、スピード感共に、私の想像の斜め上を遥かに超えているものでした。しかし、当時バリバリのキャリアウーマン(ブルゾンちえみの声が脳内再生される…)に憧れていた私は、いつか正社員としてバリバリキャリアを積んでいけるように、まずはこの置かれた環境の中で、求められる人材になれるようベストを尽くそう、と思ったのでした。
また、派遣社員だから、などという考えは捨てて、自分が正社員になったような気持ちで働こう、と心に決めたのでした。ここで頑張れなかったら、どこに行っても頑張れない、と思ったのです。

怒涛の6か月
そして、半年が経ちました。
今思うと、この最初の半年はかなりきつかったです。なにせ、入社した時点で、前任の方の業務が数か月分溜まってしまっていましたし、電話は1日大げさでなく80回位取り次いでいました。またどちらかというと私はアナログ人間で、数字が苦手なほうなのですが、経理システムが非常に複雑なのに加え、会社の分社化などでさらに処理が複雑を極め、また億単位の出金なども取り扱っていたので責任重大。
とにかく常にストレスと緊張がMAXな状態でした。
しかも当時は、都内に引っ越してきたばかりのワンルームの母の家に同居させてもらっていたのですが、夜は母のいびきがひどく眠りたくても眠れず慢性的な寝不足状態でした。疲れていて眠りたいのに眠れない、というのが今思うと一番辛かった気がします。

電話対応が忙しい.jpg



 

 
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